2011年8月8日月曜日

IN NARITA


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成田、空港近辺の独自の土地柄のほうが探してたものだった。そびえ立つホテル群、駐車場、買収予定地の家々、パトロール隊、女子高生。空港内はなんか違った。そこら中にありふれてるものしかなく、空港というより郊外のショッピングセンターというか。空港的な空港ってのはどこにあるんだろうか。

2011年4月19日火曜日

顔の無い男



ニューロン、発火パターン、記憶転移。記憶について考えているうちに気分が悪くなってきた。発端は、昨日のクレーン車の事故。意識を繋ぎ止めておくことについて考えていた、てんかんとか、そういう事を調べた。眠りや、夢。絶えず働いているブレイン。そして少し、死の匂いを感じた。

「例えば、心臓の中には神経線維の密集した部分があり、大脳から独立して心臓の運動を制御している。この部分が、大脳皮質と比較すればごく少量であるが記憶を蓄えておくことができ、移植によってその記憶がレシピエントに受け継がれるという考え方がある」

写真は錦糸町のらラブホ街にて。顔の無い男が、じっとこっちを見ていた。

2011年4月9日土曜日

東京廃墟




歌舞伎町ホテル
この脇に車を停めていると「ややこしい人たち」が現れるので注意が必要。



白金社宅
これもデカイ。この近辺の二三棟全部廃墟(2011春)



元・赤坂プリンスホテル
都内最大級の廃墟かと。解体を待っている。新しい高層ホテルが建つらしい。




目黒区・不明
すぐ傍には団地の廃墟もある。

2011年3月28日月曜日

僕とアスファルト







意味の無い風景に意味を与える。行き場の無い風景に赴く。人々が眼を背けるものに眼を向ける。意味よりも。行為を分かち合うことについて。花がない。もしかしたらずっとないかも。フィッシュマンズを勧められてベスト盤を借りた。ウェザーリポートを聴いてる。

2011年3月25日金曜日

3.11 2011


日常をこなしつつも、元からのことを継続しながらも。視ることは無視することと同じで、両方を一度には出来ない。そして何かを視ている間は、何か他のものを無視しているということ。たとえ贖罪の気持ちであっても。原動力に結びつかせたい。タフになりたい。意味について考えるよりも、出来る限りの行動へ向かいたい。

実状は書いてもしょうがない。誰かに伝えるために撮ったものじゃない。そこらに溢れてる記号としての情報にすぎない。でも自分にとっては違う。途方も無い喪失、どれ程の時間をかけて、元の生活が戻るのか。戻らないのかもしれない。一時の行動で終わってはいけない。眼を向け続けなければいけないということ、継続的に何をしていけばいいのか、そして日常をこなす、どこに眼を向ければいいのか。考えながら、行動へ。

敵をぶっ飛ばすのは、血気盛んな人に任せる。ただ一つ言えるのは、こんなところでぼやいても何も変わらない。ぼやくよりも先に、己の無力さを知れば良いと思う。知って、狂う程の無力感を味わえば良いと思う。そして立ち上がってほしい。


他幾つかの写真(Flickr)

2011年2月13日日曜日

ユートピア旅行記 あいりん地区


2009年8月に1週間ほど安宿を渡り歩いてこの街を撮った。日本最大のドヤ街。日雇い労働者と路上生活者で溢れる。言ってしまえば最貧民街。都市部で暮 らしていない人には縁が少ないが、豊かな国と言われているこの国にも路上生活者は多い。写真はたった一人の路上生活者相手に数で畳み掛ける仕事熱心な方々。西成警察は気合いの入り方が違います。が、過去に大規模な暴動も起こっていて犯罪も少なくないので仕方は無い。


路上生活者のハウス。冷蔵庫を棚代わりに使用している。壁の役割も果たしている。片側一車線の道路の半分を占めている。廃車になった車もそこら中に転がっている。


路上の風景。運が良ければ覚せい剤の売人と出くわす事もある。取引はずさんで、そこら辺のパイロンをひっくり返せばブツが見つかる事もある。近くのコンビニのトイレに注射器が落ちていても驚いてはいけない世界。
車で行ったのだが、コインパーキングのゲートが破壊されていて停め放題だった。業者が気づいて復旧するまで3日以上放置されていた。それが西成。


安宿。千円以下で泊まれるところも多い。自分は駅前のコインシャワー付きの簡易宿泊所に泊まった。それでも一泊1500円。聞くところによると指名手配されている犯罪者の隠れ蓑にもなっている。

なんでクラゲなのか。



路上でギャンブルに興じる人々。


そういう貧困の事実をフォーカスするためにこの街に訪れた訳では全くないのだが、やはりファインダーは彼らへと向かう。他にももっと被写体に接近した写真もあるのだが、今回は省く。飛田新地でも写真を撮ったが、公開する場はあるんだろうか。撮ったとは言いがたいか。観光客のフリをしてカメラを肩にかけ、ポケットの中のレリーズでシャッターを切った。シャッター音をごまかすためにわざとでかい声で話したりなんかして。(写真は路上生活者たちが衣類や貴重品を保管しているであろうコインロッカー前で撮影したもの)


道路半分を埋め尽くしている自転車。


もっと写真

2011年2月5日土曜日

黒煙


鶴ヶ峰の友人宅で撮影の手伝いをしていたら火事の発生現場に遭遇した。
日常から乖離した光景。



バイク屋から出火したらしい。
火は30分後くらいに消し止められた。
火は恐ろしい。

2011年2月4日金曜日

掘り起こされる風景:名古屋の廃バス


掘り出した風景。一年前の秋の写真。名古屋にて。友人の映画撮影の手伝いに行った時に撮った。結局その映画は頓挫してしまった。ここ何年か、友人たちの撮る映画は皆頓挫している。自分も含めて。悪い時期なんだろうか。


ハーフNDフィルターを付けていたのかもしれない。右端が暗い。この時使っていたのはCanonの10Dだったか。映像はまだビデオカメラで撮っていた。そういえばこの映画撮影のとき、カメラは5DMK2を使っていた。良いレンズも使っていた。


2011年1月28日金曜日

東京景




いつか、この街をテーマにしたポートレート撮影をやりたい。


ただ漠然と東京という都市を写そうとするが
撮りたいものはなかなか見つからない

撮りたいものがないわけではないと思う
何を撮れば良いのかがわからない


写し出されたものは 撮影者のその時の心だと思う
シャッターを押した時の心が写っている


心のないものを撮るときこそ その写真に心が宿るのだなと思った
それが写真の見方なのは誰もが知ってると思うけど
改めて気づいた


都市という鏡で自分の心を眺めている
こうやって見返すと 心がよく表れてると思う

NO.27-26


長房団地の一部の棟が廃墟になっていた。
27号棟と26号棟。





辺りには広大な空き地があった。
もともと団地があったのだろうか。
団地の廃墟というのは何か感慨深いものがある。
多くの生活がかつてそこにあり、今はもうない。
帰る場所がなくなってしまった人たちが、確かにいるということ。

2011年1月3日月曜日

Piutoa













「Piutoa」
夢と深層心理がテーマの映像作品。製作途中。

撮影地は小串鉱山。車で入れるギリギリの場所で撮影。この場所は冬期(2010年は11月16日から)通行止め区間となってしまう。撮影日は15日だったのでかなりギリギリだった。天気も午前は悪かったが午後には回復。良い画が撮れた。